港の明かりが星空を奪う。晴れているのか曇っているのか、それすらも判別できないくらい。
大迫美鶴。お前に俺は堕とせない。お前も所詮は馬鹿な女だ。
対岸で鮮やかな花火があがる。周囲のカップルが歓声をあげる。あがった花火は儚く消える。まるで、花火そのものが夢であったかのように。
そうさ、お前が抱く恋心なんてものも、所詮は幻。邯鄲の夢。そんなものはこの世には存在しない。
大迫美鶴。馬鹿な女。
連発する打ち上げ花火に瞳を細める。口元が少しだけ歪む。
さて、どうやって遊んでやろうかな?
まったく。
浜島はハンドルを握り締めながら心内で舌を打つ。
どいつもこいつも馬鹿騒ぎしおって。酒に酔って車道なんかに飛び出してきて、もし引いたりでもしたら責任を問われるのはこちらなんだぞ。周囲の迷惑というものをまったく考えもしない。これだから下賤な一般市民は嫌なんだ。あれは見たところ高校生だな。どうせくだらない一般校の生徒だろう。ああいった生徒と我が唐渓の生徒が同じ公道を歩かされるなんて、もし唐渓の生徒が問題にでも巻き込まれたらどうするのだ。
ここは駅前。聖夜の買い物を楽しむも者、イルミネーションを見上げながらフラつく者、乗り換えの為に足早に急ぐ者なのでごったがえしている。
歩道で大声をあげる一団に鋭い視線を投げ、浜島は嘆息した。
いっそのこと、封建社会だった頃のように住み分けができればよいのだが。
使う道も、駅も、施設もなにもかもを分け、上流階級と下層民が触れ合う事のないように隔てる。そうすれば、唐渓に通うような生徒が一般人から迷惑を被る事は無いはず。
浜島はブレーキを踏む。信号は赤。駅前のスクランブル交差点は歩行者側が青になり、ドッと人が車道に溢れ出して来る。
下層民。
その言葉を心内で呟くたび、浜島の脳裏には一人の生徒の顔が浮かぶ。
大迫美鶴。もうこれ以上は問題を起こしてくれるなと、あれほど願っていたのに。
生徒の間で流れた携帯メール。浜島は、出所とされている学校裏サイトをその日のうちに閉鎖させた。だが、写真を隠し撮りした犯人はわかっていない。
生徒の間では、二年の小童谷という生徒が怪しいのではないかと囁かれている。写真に写っていた山脇瑠駆真とは、少しモメていたという報告も聞いている。
山脇瑠駆真。
彼の保護者と名乗る女性が学校を訪ねてきたのは、写メが流れた当日だったか、その翌日。事前にわかっていた訪問のようで、浜島とは違い、すんなりと理事長への面会を認められていたようだ。
理事長室手前の小さな小部屋で、浜島は彼女と顔を合わせた。女性で、黒人だった。
メリエムと名乗るその人物は流暢な日本語を話し、物腰も丁寧で品があった。さすが王族関係者だと思った。そして、そんな感心と共に、不安も胸の内に沸き起こった。
山脇瑠駆真の保護者がなぜ学校に? ひょっとして、やはり身分が明らかになってしまったという事実に抗議でもしに来たのだろうか? それとも、携帯で流れている写真についてすでに知っていて、その事についての抗議だろうか?
どちらにしろ、彼女の目的が学校側への"抗議"である事に間違いはないと浜島は思っていた。
私が咎められるのだろうか?
写真の件はどうかわからないが、身分が明らかになってしまった件に関しては、浜島の失態でもある。浜島はそれなりの覚悟はした。だが、メリエムという黒人女性が学校を訪ねてきてから数日経っても、理事長や彼の秘書である似内からは何の音沙汰も無い。
私の早合点だったのだろうか? それとも、もはや私などに山脇瑠駆真の情報などは漏らすわけにはいかないという事だろうか?
浜島は赤信号を睨みつける。
身分の件は起ってしまった事だ。誤魔化したところで何の得にもならない。それで理事長の私への信頼が揺らいだというのなら、再び信頼を得るまでの事。
一度失った信頼を回復するのは、そうたやすい事ではない。だが、浜島の胸中に揺るぎは無い。理事長の信頼を回復できなければ、自分の存在意義すら無くなってしまうからだ。
それはなぜか? なぜならば、唐渓で理事長の信頼の元、己の理想を求めて信念を貫く事だけが、今の浜島のすべてだから。
自分のすべて。そう、自分には、理想と信念意外には何もない。何も、今さら失うモノなどもありはしない。
失うモノが無いのならば、あとは求めるのみ。
そのためには、とにかく教頭として唐渓高校のためにつくす事。品格を貶めるような問題を起こさせない事。まして、山脇瑠駆真を巻き込むような事件など、起こさせてはならない。
あの、携帯の写真。
隠し撮りしたのが小童谷という生徒で、彼と山脇瑠駆真がモメていたと言うのなら、彼ら二人に事情を聞くのが当然であろう。だが浜島は、その必要は無いと思っている。
写真に、山脇瑠駆真と一緒に写っていた少女。
大迫美鶴。目の前の交差点で、酒に酔って騒ぎ立てている輩と同じような、賤しい人間。
悪の根源など所詮は彼女に決まっている。写真を隠し撮りした小童谷という生徒は、大迫美鶴と同じクラスだというではないか。
だが浜島は、大迫美鶴を呼びたてて責めるような事はしなかった。事を知って山脇瑠駆真が抗議してくるのを恐れたからだ。彼の身分が露見してしまったという自分の失態を咎められては、浜島としては反論はできない。厄介な事に、山脇瑠駆真は大迫美鶴に好意を寄せているという。
まったく、王侯貴族というものは、我々の予想もつかない思考を持っているようだ。
山脇瑠駆真の身の上をバラしてしまった事によって失ったと勝手に浜島が思い込んでいる理事長からの信頼。それを回復しなくてはいけないのに、またしても山脇瑠駆真から責められるような行動をしていては意味が無い。
ならば。
こちらの信号が青になる。それでも無理に飛び出して渡ろうとする歩行者。鳴り響くクラクション。浜島はゆっくりとブレーキペダルを離す。
ならば方法を変えるしかない。
ゆっくりと交差点を渡る。
大迫美鶴を責めるのが無理なら、別の人物を。
電光装飾が眩しい。
このような毳々しい場所で金を稼いでいるという女性。大迫美鶴の母親。確か、大迫詩織という名前だったはずだ。そちらに圧力をかけるしかない。
歩行者が飛び出してきて思わずブレーキを踏む。同時に助手席で荷物が撥ねた。
「あぶないっ」
思わず左手で抑える。手探りで確認する。どうやらヘコみなどは出来なかったようだ。
「よかった」
優しく撫でる。
綺麗な小箱だ。丁寧に包装され、可愛らしいリボンがかけられている。表面にはMerry Christmasと書かれたシールが貼られている。このような代物を手にしている浜島の姿を見たら、唐渓の教師生徒一同は目を丸くする事だろう。
普段の彼には到底似合わない小箱から手を離し、普段の彼からは到底想像もできないだろう優しい笑みを口元に浮かべ、ゆっくりと加速した。
喜んでくれるだろうか?
浜島は、自分を待ってくれているであろう女性の顔を思い浮かべ、本当に優しく微笑んだ。
背後から押され、ヨロけたところを瑠駆真に支えられる。
「大丈夫?」
「平気。それにしても」
うんざりと周囲を見渡す。
「なんでこんな時間にこんなに混んでるワケ?」
「たぶん花火の帰りじゃないかな?」
「花火?」
「そ。港の方でクリスマスの花火大会があったはずだから」
「はぁ? 花火は夏の風物詩でしょ?」
「このご時勢、季節なんて関係ないって。クリスマスに年末のカウントダウン。バレンタインやハロウィンに打ち上げてるところだってある。花見の時期に桜の背景に映えるだろうって打ち上げて、逆に雰囲気をブチ壊しだってモメた観光地もあったな」
左から聡が説明し、そうして美鶴の左腕を捕らえる。
「人混みに流されるなよ。終電に乗り遅れるぞ」
「とにかく手を離さないで」
右側には瑠駆真。二人に両側から抱えられ、寒いはずなのに何故だか身体が火照る。
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